【四阿】

さて、本題の「あずまや」。広辞苑によると、東国風のひなびた家、とある。屋根を支える四方の柱だけで壁がないのが「あずまや」だから、ひなびた、というのは良しとして、なんで東国風なのか。今でこそ日本の首都は東京だが、かって東国は蝦夷(えみし)が支配する蛮国と大和側は見なしていた。征夷大将軍は東国支配のための軍隊を指揮する大将の位で、坂上田村麻呂が有名だ。ここで言う征夷とは蝦夷の征伐のこと、かって大和政権側とは別の先住民族が東国に住んでいたことが分かる。ちなみにここでの蝦夷と蝦夷に住むアイヌとは別である。「東国風あずまや」、征夷大将軍とくれば日本尊の東征。〈東=あずま〉の起源はここにあった。父・景行天皇から蝦夷の討伐を命ぜられた日本尊は、相模から房総に渡ろうとしたが、海が荒れて何日も足止めされてしまう。困っている様子を見た妃・弟橘媛が、海中に身を投じて海神の怒りを鎮めたのが今日の走水、最愛の弟橘媛の投身を嘆き「あづまはや」と悲しんで詠ったのが現在の群馬・嬬恋村だ。いずれも東国の地である。「東」はだから「吾妻」「吾嬬」とも書く。

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